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どうせやるなら、1番をめざそう。

初めまして。星槎のことをなんでも知っている「セイサさん」(仮)です。これから、この「note」を担当していきます。よろしくお願いいたします。

今回も、星槎の学校で日々、子どもたちと関わる先生たちの「教師列伝」をお送りします。今回は野球とともに人生を歩んだ島田先生のお話です。


高橋航平写真

星槎スポーツ新聞 Vol.34 星槎教師列伝
「どうせやるなら 1番を目指そう。」
星槎国際湘南 教諭 髙橋 航平


祖父に感謝

野球を始めたのは3歳の時。祖父が少年野球チームの監督をしており、自然な成り行きで野球を始めた。そこからは毎日野球漬けの日々を送った。家に帰ればすぐに近くのグランドへ向かい野球の練習をし、家に帰ってからも祖父と一緒にプロ野球中継をみて、野球の勉強をした。

まさにイチロー親子のような生活を送っていたと思う。しかしそんな毎日が楽しくて仕方がなかった。そんな祖父との毎日が指導者となった今の自分の野球の基礎となっている。

祖父が常に話してくれた言葉がある。それは「何事もやるなら1番を目指せ」だ。やるからには打率も1番。ホームランの数も50メートル走も学校の勉強もなんでも一番にならなければ絶対に褒めてはくれなかった。

しかしそんな祖父の厳しさがあったからこそ、何事にも逃げることなく一生懸命取り組むことのできる根気強さが身についたと思っている。本当に祖父には感謝しかない。

高校での思い出

そんな祖父との日々を経て、高校の野球部では部員120名の中でキャプテンを務めさせていただいた。この経験が自分の人生を変えてくれた。私はあまりしゃべりがうまい人間ではない。そしてなによりも、口だけ偉そうなことを言う人間が1番嫌いだった。

だからこそ常に心掛けていたのは、行動で示すことである。チームで1番早くグランドにきて、最後までグランドに残り自主練習に取り組んだ。誰よりも自分に厳しく練習に取り組み、誰もが嫌がる掃除や道具の準備などに率先して取り組んだ。

そんな取り組みを1年間続けて迎えた最後の夏は、延長15回再試合の末5回戦敗退、ベスト16で終わった。結果として目標であった甲子園出場を達成することができなかったが、この試合が終わったあとに仲間からかけてもらった言葉が今でも心に残っている。

「お前がこのチームのキャプテンで良かった」実際に朝早くグランドに行くのは本当に苦しかったし、掃除も道具の準備も何度面倒くさいと思ったかわからない。ただそんな地道に取り組む姿を仲間たちは見てくれていたんだなと思うと本当に嬉しかったし、キャプテンをやって良かったと心の底から思った。

いつまでも白球を追いかける

大学でも120名以上いる野球部の副キャプテンとして、1年生からベンチに入れさせていただいた。ベンチに入れてもらいながら、なかなか結果が出ず悩んだ時期もあったが、最後はチームの主軸として試合に出場することができ、秋の全国大会では準優勝という結果を収めることができた。

最後まで諦めず努力をしてきたからこそ、このような結果を出すことができたのだと思う。野球を通じて本当に多くのことを学ぶことができた。そしてたくさんの人との出会いが自分を大きくしてくれたと思う。

これからは選手としてではなく、指導者として高校生の時に達成できなかった甲子園出場という目標に向かって、子どもたちと一緒に白球を追いかけたい。そして祖父の言葉である「1番」目指して決してあきらめることなく夢を掴み取りたい。

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