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サッカーとの出会い。努力の先


水P

こんにちは。星槎のことはなんでも知っている「セイサ先生(仮)」です。今日は、星槎学園北斗校、石田先生のコラムをお届けします。

教育者・指導者としてサッカーと共に歩んできたお話しです。      ぜひご覧ください。

星槎スポーツ新聞vol.48
星槎学園北斗校 石田 裕昭

3面 教師列伝(石田裕昭)


サッカーにのめり込んだ小学校時代

私は保育園の頃から剣道を、小学校4年生の頃から水泳を並行してやっていたが、サッカーという、一つのボールをみんなで追いかけて、泥んこになり、とにかく仲間と一緒に汗をかく楽しさ、一つのゴールをみんなで守るという団体競技の面白さに惹かれていったのを憶えている。そして、マンガ『キャプテン翼』に出会い、さらに、テレビ東京で「三菱ダイヤモンドサッカー」という大好きな番組があり、そこで、ドイツブンデスリーガー、ブレーメンの『奥寺康彦選手』(現星槎学園名誉校長)と出会い、どんどんサッカーの方にのめり込むようになった。

指導者、教育者としての道へ

中学生になってサッカー部に入部。ここから本格的にサッカーに携わる人生が始まった。高校・大学とサッカー部に所属し、青春時代は、ほぼ毎日サッカーに明け暮れていた。“夢”を持ったこともある。しかし、華やかなサッカーの経歴は作れなかった。大学を卒業した私は、プロに比べれば華やかな世界では無いかもしれないが、指導者、教育者の道でサッカーと共に歩んでいく道を選んだ。大好きなサッカーを続けないという選択ほど歯痒い事は無いので、サッカーの指導者としての努力をし始めたのだ。

努力の先にあるモノ

結果、教員採用1年目から高校のサッカー部の顧問としてサッカーに携わることができた。現在は、星槎学園中高等部北斗校でサッカークラブの顧問として、サッカーが大好きな生徒と楽しく活動している。経験者もいれば初心者もいる。男子もいれば女子もいる。そんなサッカークラブだが、サッカー好きな生徒たち、そんな生徒たちの役に少しでも立てればと思っている。努力の先には、報われないことや、辛い現実を受け入れなければならないこともある。ただ、努力の先にしか自分の人生を決める経験値や結果はついてこない。


今年は新型コロナウイルスの影響で、夢の舞台であるインターハイや甲子園など、各種競技大会が軒並み中止になってしまった。大きな悲しみと目標を失った星槎の高校生たちの姿があることは、痛いほど承知している。しかし、皆さんの競技人生はこれで終わりではありません。水泳の池江璃花子さんが4年後のパリ五輪に照準を合わせているように、星槎の仲間たちにも次につながる努力を継続し、“ 新しい自分”に発破をかけてほしいと願っている。