実は私、スポーツが嫌いでした
こんにちは、星槎のnote担当、星槎のことならなんでも知っている「セイサ先生(仮)」です。今日は、はじめて、私のお話しを書かせていただこうと思います。「#スポーツがくれたもの」の特集をきっかけに、私の人生とスポーツの関わりについて振り返ってみたいと思います。
「周りに合わせなければならない」
私自身のスポーツの経験といえば、水泳くらい。それも、自らすすんでというより、まだ物心もつかない幼稚園の時にはじめて、気がついていたら続けていた、というくらい。むしろ学校での体育の思い出といえば、逆上がりを同級生の前でさせられ恥をかかされたり、バドミントンでなかなかサーブができなかったりと、とにかく「周りと合わせる」ことばかりで、非常に嫌いだった記憶しかありません。
もちろん、たまたま先生と相性があわなかっただけかもしれませんし、今は時代が変わって、そういうことも少なくなってきているかもしれません。それでもとにかく、今振り返ると「嫌いになって当然だな」という場面が多かったように思います。
私のスポーツに対する見方や感じ方が変わったのは、高校生以降。あるいは、大人になってからかもしれません。実は私は今、星槎で働く一人ですが、星槎で学んだ一人でもあります。星槎という学校には、多様な生徒たちが集い学びます。たまたまこのnoteはスポーツをテーマにお送りしていますが、スポーツだけに力を入れている学校ではありません。
「得意なことで成功体験を」
絵が得意な子もいれば、計算がめちゃくちゃ早い子もいれば、見事な音楽の感性を持っている子がいれば、料理の腕がピカイチな子もいます。苦手なことや嫌いなことを無理に周りと合わせようとするのではなく、まずは、得意なことや好きなことをとことん追求できる場面を通して成功体験を積み、自信をつけていく。そして自信がついてくれば、苦手だったことや、社会に出るにあたって必要なことも「やってみようかな」という気持ちの「余裕」が出てきます。
いろいろな時間割やコースなどは確かにありますが、星槎の本質はそこにあります。「この子がどうやったら輝けるかな」ということを、何時間もかけて先生たちは議論し、試行錯誤します。「こうやったらうまくいく」なんて方程式は、学校や教育にはあり得ないと思うのです。「ないものは作る」をテーマに、スポーツに限らず、たくさんの行事や授業、部活動を、一人の生徒のために作り続けています。
スポーツを「ささえる」
話が若干それましたが、私は星槎に関わって、スポーツは「する」だけじゃないんだということに気づいてから、見方が変わりました。特に学校におけるスポーツの本質とは「する・みる・ささえる」なのだと思います。私がそう思うに至った、さまざまな経験をご紹介します。
たとえば「星槎オリンピック」。名前からは少々、想像がつきづらいと思いますが、言ってみれば「体育祭」です。バスケットボールやバドミントンなど室内競技をはじめ、駅伝や野球、パラスポーツまで多種多様な種目に、日本全国の校舎の仲間が集い競います。この星槎の体育祭が他と少し違うのは、「出場するだけじゃない」ということ。もちろん、それぞれの種目に、それぞれ自信をもつ生徒が出場するのですが、スポーツが苦手で興味がないという生徒も「違った形」で参加します。
いろいろな参加の仕方があっていい
たとえば、絵が得意な生徒は、自分の校舎の「応援旗」を作ります。そしてその応援旗も、審査の一つになります。あるいは、カメラが好きな生徒は、「記録スタッフ」として勝負の一瞬を写真におさめます。その写真は実際に、学校のパンフレットで使われます。また、声優を目指している、好きだという生徒は、「場内アナウンス係」として一日の進行役という大役を任されます。そのほかにも審判補佐など、見えないところでたくさんの役割があり、場面があります。誰かに貢献すること、自分が求められていると感じられること。「任される」ことがうれしくない人はいないと思うのです。頼られることが知らず知らずのうちに「自信」につながります。そう、これこそがスポーツにおける「ささえる」なのです。
私は生徒の時にこの「スタッフ」という関わり方をしていました。何気ないことに見えるかもしれませんが、「運動が苦手だからどうせ自分は関係ない」と思わせることが結果的に、スポーツ嫌いに繋がっていくように思うのです。この星槎オリンピックが正解と言いたいわけではありません。運動が苦手な子でもどのようにしたら出場できるか、あるいは、違った関わり方ができるか。そんなことが非常に大切だと思います。ちなみに、星槎オリンピックでも、スポーツ部門の裏で「通信競技部門」が同時開催されます。ルービックキューブや豆つかみなど、誰もが参加できる工夫が凝らされています。「参加できなかった」と「参加できた」では、大きな違いがあります。自信こそが、社会という荒波で生きていく上で必須の武器になります。
スポーツを「みる」
ここまでは、私の「スポーツを〈ささえる〉」経験をお話ししてきました。次は、「する・みる・ささえる」の〈みる〉をお話ししたいと思います。
このnoteでもこれまでご紹介している通り、星槎には「サッカー部」や「野球部」、「フィギュアスケート部」などがあります。それぞれJリーグやなでしこリーグ、甲子園を本気で目指したいという若きアスリートが日々、汗を流しています。
たとえば、そのうち星槎国際湘南 女子サッカー部は、2014年に創部し次の年にはインターハイ予選で優勝するなど、「湘南乃風」ならぬ「湘南の新風」として、地元大磯を、湘南を、神奈川を熱くすることを目標に快進撃を続けてきました。その中で、女子サッカー部が全国に名を知らしめたのが、2019年、新年早々の「第27回全日本高等学校女子サッカー選手権大会」でした。
そのシーズンは、5年連続、5年目の選手権大会出場でした。それまでの成績は、最高でベスト16。それだけでもすごいことでしたが、更なる高みを狙った彼女たちの戦いが始まっていました。何よりも、その前シーズンのチームは、日テレ・東京レベルディベレーザに加入、今春にマイナビ仙台レディースに移籍し、在学当時からU-18代表メンバーとして活躍していた「宮澤ひなた」選手や「加藤もも」選手も在籍していたチームでした。その次を担うチームとして、相当なプレッシャーがあったように思います。
体育が嫌いだった子が、神戸に行くということ
大会は神戸で行われるため、関東の校舎にいた私は生徒たちとともに、インターネットで観戦しました。サッカーに興味がある生徒はもちろんですが、普段は興味のない生徒も(私も昔はそうでしたが)、自分の同級生が全国の舞台で戦うとなると、自然と画面に釘付けに。知らず知らずのうちに、みんながスポーツを「みる」姿勢になり、しっかりと応援する姿になることが非常に印象深かったことを覚えています。
戦いは2019(平成31)年1月3日の一回戦:vs 大商学園高校(関西一位)との対戦からスタート。4-1で下し、2回戦に進出。2回戦は筑陽学園と対戦し、4-0で勝利。創部以来初のベスト8となり、学校中が歓喜であふれたことを昨日のことのように思い出します。その後の準々決勝では、花咲徳栄高校と対戦し、2-1と辛勝。終了に近いタイムでの相手の反撃からなんとか逃げ切り、ベスト4へコマを進めました。ここまでくると、未知でした。あとは一戦一戦勝つことのみ、皆で祈っていました。
そして準決勝は東海大福岡と対戦、4-0で勝利をおさめ、いよいよ学校史上初の決勝進出となりました。ここまでくると、関東の校舎も含め、「全校応援」となりました。一緒にここまで見守ってきた生徒らに声をかけ、急でありましたが数十名の生徒が、神戸への応援隊に手を挙げました。ここまでくると先生も生徒も関係ありません。ただただ勝利を願い、しっかりと声援を送ることに集中するのみです。
神戸へはバスで移動。車中泊を伴いながら、決して楽な移動ではありませんでした。それでも、普段は体力に自信がない生徒も、一緒に応援するというのですからスポーツの力は偉大です。現地に行けなかった生徒も、TBS系列の地上波放送でしっかりと応援をしました。相手は優勝常連の強豪・常盤木学園高校。拮抗した試合展開の中、星槎の選手が放ったフリーキックにより1点を追加。その後も王者の攻撃から必死に守り切り、1-0で創部5年目、初優勝という結果で締め、平成最後の女王となりました。勝利の喜びはもちろんですが、「中学時代はゲームばかりで、体育なんてとてもじゃないけど…」と語っていた生徒が見せた涙と笑顔に、私も大きく感情が揺さぶられたことを思い出します。
人は感情が交差するところで成長する
自分たちの仲間が学校を代表して、そして日本を代表して戦いに挑むその姿には、たとえスポーツを「する」ことが苦手であっても、「みる」原動力が駆り立てられるものです。昨今では星槎国際横浜フィギュアスケート部に所属する鍵山優真選手の、世界フィギュアスケート選手権銀メダル、NHK杯金メダルといった輝かしい活躍も注目されています。日本中の星槎の仲間、卒業生、保護者、教職員が見守り、感動と勇気を与えられています。
「一人で流す涙ではなく、みんなで流す涙が君を強くする」。人は、喜び、怒り、哀しみ、楽しむなど、たくさんの感情が交差するところで成長していきます。とくに中学生、高校生の年代は、生徒どうし、生徒と大人がお互いがしっかり関わり合い、向き合うことが必要な時代であると思います。スポーツをみるという、仲間をしっかり応援するということで得られる学びが必ずあるということを、私は学ばせていただきました。そしてすっかり、私はサッカーや野球、バスケにフィギュアスケートのルールを覚えてしまいました。
共生社会実現のヒントがここにある。
スポーツは「する・みる・ささえる」。しかしこの3つの言葉は、実はスポーツに限らないのではないかと私は思います。すなわち、社会そのものがそうなのではないかと。本当の強さというのは、お互いが補い合うことで生まれる力だと思います。自分を認め、そして他人を認める。まさに「共に生きる」社会の実現が叫ばれて久しい昨今、スポーツにこそその縮図があるのではないかと考えます。未来の日本を、世界を担う子どもたちには、「共生社会」の実現が求められています。だからこそ星槎は、スポーツを一つのきっかけにして、「する・みる・ささえる」を経験することを大切にしているのだと思います。
私は、スポーツが好きになりました。