14歳、私の人生が逆転した。
こんにちは。星槎のことはなんでも知っている「セイサ先生(仮)」です。今日は、男子サッカー部監督、永瀬先生のコラムをお届けします。
挫折からの転機、そして恩師と同じ舞台へ。「学校の先生っていいなあ」と思わせてくれる素敵なお話です。ぜひご覧ください。
星槎スポーツ新聞Vol.47 星槎教師列伝
星槎国際湘南 男子サッカー部監督 永瀬 裕記
優秀だった小学生時代、挫折した中学生のはじめ頃
今までを振り返ってみると、時に厳しく、時に優しく、不器用な私を導いてくれる大人がたくさんいた。
幼少期から2歳上の兄の背中を追いかけて育った私は同学年の仲間と遊ぶことに物足りなさを感じていた。16年間プレーし続けたサッカーも小学生の時は兄の学年でプレーする事が多かった。きっとこの経験で鼻が大きく伸びてしまった。そんな私は中学生になり痛い目に遭うことになる。まさに、『井の中の蛙』であった。横浜に拠点を置く横浜F・マリノスの下部組織に合格したまでは良かったが、そこで今まで感じたこともない差を痛感した。なぜならば、チームメイトのほとんどは都県選抜や世代別日本代表に名を連ねていたからだ。
生活の中心であるサッカーで自信喪失した私は自分をコントロールすることができずに生活が乱れた。通っていた中学校では遅刻が増え、練習に行くのも毎日苦しかった。勉学も集中してできていなかった気がする。いや、できていなかった。現実から逃げるため友だちと遊ぶことを優先したこともあった。自分でも歯車が合わないことに気がついているが、うまく前進することができなかった。当然、そんな私は先生に小言を言われ、次第に大人が嫌いになり、自ら歩み寄ることもせず素直になれなくなってしまっていた。きっと、扱いにくい生徒なんだろうなと自覚もしていた。
一人の大人がきっかけで拓けた道
転機は中学2年生の春の出会いだった。一年間でだいぶ擦れてしまった私の前に色黒で身体もがっしりしている強面の先生が赴任してきた。『絶対にこの先生だけは担任にはならないでくれ。』と、強く思ったことを記憶している。私の気持ちとは裏腹に、この強面の先生が担任となってしまった。『絶対何か指導されるな。』と構えていたが、この強面の先生は学校生活を送る中で多くの場面で私を認めてくれた。口数も多くないし、相談もしやすくなかったが、生活が乱れていることを見抜き、サッカーで苦しんでるのか?と声をかけてくれた。出会って早々に自分の本心を分かってくれる人がいるんだと安心した。また、クラスや学校行事の大事な役割を、『永瀬、やってみろ』と任されたりもした。
不器用な私への言動で次第にこの強面の先生に惹かれていった。 すると私は何かが吹っ切れたようにサッカーに対してがむしゃらに取り組めるようになった。先生たちとの関わりの中で自分自身が変容していったことに気づいた。それに加えて自分の弱さや未熟さにも気づけた。学校生活=サッカーに気づき始めて文武共に安定してきた。もちろん多くの失敗もしながら・・・。
不思議なことに小学生まで区選抜に入るのがやっとで市大会にも出たことのない私がチームメイトや監督、私を支えてくれた方たちの力もあり、中学3年次に世代別の日本代表に選出された。たまたまであったが、一人の大人との出会いがきっかけで自分の道が拓けてここまで結果が出たのは自分自身でも驚いた。
「あの永瀬が先生か。」
この強面の先生のおかげで様々な点と点が繋がったことに今でも感謝をしている。定年退職になる年に教育実習で母校に帰って同じ教壇に立てた時、少しだけだが孝行できたかなと思えた。
教員になることを伝えた日、『あの永瀬が先生か。』と嬉しそうに話してくれた。
『人生を逆転させることができるか。』私にとって永遠のテーマである。